子育てリレーエッセイ NO.2

『他者』との出会い

窓の外を見ると、雪が降っていた。真夜中に破水して病院に飛びこんでから、何日が経ったんだろう。帝王切開の傷を濡らさないように気を付けながらシャワーを浴び、髪を洗った。濡れた髪をタオルでぬぐいながら、身体だけでなく気持ちもすっきりしていることに気づいた。窓を開け、雪の一片を手に受けてみた。その冷たさが心地良い。

妊娠、出産にまつわる身体感覚の何もかもが、私にはしっくりこなかった。自分の身体でありながら自分の手の届かない「肉体」をぶらさげて生きている、という感覚。あらがいようのない肉体の変化、自分の無力さ、脆弱さを思い知らされる日々。

手のひらに感じる雪のその冷たさには「私だけの身体」を取り戻した喜び、があった。妊娠、出産を喜び、祝福する言葉は世の中に溢れている。けれども、私がそのとき感じた「喜び」は、私以外の何者でもない『私』を確認したことの歓喜であった。

一人の女が妊娠すると、そこには「おめでとう」というオヤクソクの言葉がついてまわる。確かにそれ以外になんと言っていいのか、誰も他の言葉をもたない。かつて子を産み、育てることに純粋な喜びを分かち合える時代があったのだろう。妊娠した女、子どもを産んだ女は強い、という言い方がある。けれども私にはそれがどういうことなのかわからない。妊娠した女はそれまでの人生の文脈から断絶され、得体の知れない「やさしさ」に抱擁される。しかしそのやさしさはそれまで生きてきた『私』に振り向けられたものではない。私は、突然異次元に放りこまれたような「戸惑い」を、感じないではいられない。

昨日まで一緒に仕事をし、冗談を言い合っていた人たち。意地の悪い人も、セクハラまがいの言動を連発する人もいた。その誰も彼もが、私の妊娠を知るやいなや善人?に変わった。まるで腫れ物に触るような扱いをする人までいる。「妊娠した女」は注意深く扱わなければならないらしい。そして、私は上司に呼ばれた。

「おめでとう。それで、いつ辞めるのかい?」

私の戸惑いは、私の胎内に宿る『彼』が何らかの社会的意味をもち、私の意志とは無関係に私もそこに組み込まれている、という「違和感」であった。けれど私は私の胎内で動き、育ち続ける『彼』を感じながら生きているだけなのだ。どうすることもできない。「おめでとう」という人に「何がですか?」とくってかかる訳にもいかない。私は違和感を抱えたまま、自動的に「ありがとう」と言えるよう努力した。それしか、私にできることはなかった。

手術台の上ではじめて『彼』を見た時、私の口から出たのは「むらさき色、ですね」という言葉だった。医師は苦笑して「こんなものだよ」と答えた。『彼』の手指は虚空をつかもうと天に伸び、震えていた。『彼』は女の子だった。麻酔で混濁していく意識の中にあって、私はその産声の音の美しさに圧倒されていた。その声はおのれの存在を主張していた。命そのものが鳴り響いている、私はその「音」に圧倒され、畏怖をも感じていた。

二日後、『彼』は看護婦の小脇に抱えられてやってきた。この小さな赤ちゃんがあの産声の持ち主とはとても信じられない。看護婦はにこやかに「ホラ可愛いでしょう」とタオルにくるまれた『彼』を差し出した。けれども私は即座に手を出すことができずに、「可愛いって…まだ、よくわかりません」とつぶやいていた。

戸惑いを隠さない私を見て、看護婦は心底あきれたように「自分の赤ちゃんなんだから可愛いに決まってるじゃない」と言い放った。

「自分の」赤ちゃんは可愛いに決まっている。これもオヤクソク。女には母性があるのだから、子どもを産めば可愛くてたまらなくなるはず、なのだ。

妊娠を知った時、私はとても苦しんだ。私には一人の人間を育て、その責任を負うことなどできない、と。自分の母親を見てきて、子どもを産み育てることを簡単には考えられなかったのだ。そしてさんざん悩んだ末に得た結論は「一人の人間の成長、ひいてはその人の人生の責任を負うことなど誰にもできない。それができると思うのは傲慢ではないか」というものだった。私は親になり、子を育てる。親は子に大きな影響を与える存在だけれども、人を育てるのは親だけではない。そう思わなければ、私は子どもを産む勇気を持てなかっただろう。

そして『彼』は私(と夫)の家の新しい住人となった。それは「他者」との出会いであり、生活そのものだった。愛し合い、せめぎあう日々。けれども私は、その「葛藤」こそが「関係」を作っていくのだと信じる。私が私以外の何者でもない『私』を求めるように、『彼』も自分以外の何者でもない自分を求めている。

『彼』は、あの日病院の窓辺から触れた、冷たい雪のようだ。『彼』は『私』の感性を触発し、刺激する。抱きしめあい、ぶつかりながら、『彼』と『私』は「他者」であることを確認しつづける。「他者」であるからこそ、わかりあうための努力を払い続けるのだ。

私たちは誰とも取り換えることのできない、自分だけの人生を生きていくのだから。

(れいこ)

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