子育てリレーエッセイ NO.1

子育てって自分育て

今の私は母親、子どもがいる。男の子ふたり。独身時代の私は、自他共に認める子ども好き。九州の実家の盆暮れ正月に親戚一同が集まると私が幼いいとこたちを一手に引き受けて保育園もどきの状況を楽しんでいた。嫌なことはあまりなかった、というより全然なかった。楽しかった。みんな私をねえちゃんといって慕い私には子どものお世話をする才能があると思っていた。だってほら、良く言うじゃない「子どもにはわかるのよ、本当に子どもを好きな人が・・」なんて。私は子だくさんの明るいやさしいかあさんになる、と単純に信じられていた。

そのあとこっちに出てきて私は楽しさをいっぱい知った。自分が楽しむことのワンダフルな喜び、それを十二分に味わった。それから結婚した。そしてディンクス生活5年を経てやっと長男が授かった。待ちわびた待ちわびた我が子。そして絵に書いたような幸せで平和な日々が始まるもんだとばかり思っていた。

で、どうなったかというといきなり私には私の時間が一分もなくなった。寝ても覚めても我が子のお世話、夜もほとんどまともに寝られず、早く寝てよーと思うときに限ってずっと泣いている彼。産まれたばかりの彼は笑うこともなく(そりゃそうだ、新生児はそんなに表情豊かじゃない)私は報われた気分にもなれない。泣きたい気分になる方が多かった。ひとりでずーっと彼に話しかけ(おかあさん、子どもに話しかけなさい、子どもは話せなくても聴いているのです)夫が帰ってくるまで私は答えてくれない彼と(答えていないわけではありません、おかあさん子どもはわかっています)話していた。その実私は私と話していた。ひとりごとの女王みたいになっていた。それだけでも話さないよりはまし、黙っているより気は晴れる(と思ってしゃべりまくった)。子どもの方はまだ良く見えないらしい目をしゃべくる私に注いでいて、その一心さは健気でもあった。彼も私も手探りで親子を始めた、そういう時期だった。

彼が表情を見せるようになる頃まで、それは修行だった。母親修行は出だしが厳しいのである。その頃父親はどんなふうに感じていたのかははっきりいってわからん、覚えてない。でも母親は生まれながらに母親じゃないのだ。あの時間は、母親としての私を作れ、という大切な時間だった。子どもを育てながら、私自身は大変化を要求されて苦しかった。自分が育たなくては、受け入れられないことを今になって思う。子どもはかわいい、愛しい。そして「子育ては良いことばっかりじゃない、そこも引き受けなくちゃなんねぇんだなぁ、おうおう」と今になってもしみじみ思う。子どもって、ひとりの人間、一生を生きていく人なんだもんねぇ。

二人目が生まれたときはもうわかっていたから、随分気持ちは楽だった。誰でも一度経験したことには強い。一人目のときに少しわかっていたら、ちょっと違ったかなぁと思ったりもする。もうだいぶ時間がたってしまったけど、今思い出しても少しせつない。

(モリリン)

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